アルトゥル・ショーペンハウアー

発行日: 26.09.2021

われわれにとって最も悲しいことは、死ではない。死は存在が立ち向かう歩みにおいて、不断に延期された一線にすぎない。だいいち、死は少なくとも退屈ではない。  ぼくが大嫌いな言葉に「幸福」とか「ハッピー」がある。ショーペンハウアーもそういう感覚をもっていたらしく、もしも幸福というものを定義するなら、何かが欠けている状態のこと、すなわち「欠乏こそが幸福なのだ」と書いた。逆に、何かが容易に手に入った状態が持続すると、かえって恐ろしい空虚と退屈がやってくる。そして新たな欠乏を探索しないかぎりは、この空虚と退屈は覆らない。  そう見ればわかるように、幸福的なるものは、実のところは「苦の慰謝料」なのである。だから幸福は高くつく。これに対して、苦しみは世界の意志のそもそもの発露であって、そのことを理解できるなら、そこからこそ救済も安寧もおこりうる。  ショーペンハウアーが父の死をはじめとして観察した世界は、ちっぽけなものではなかった。ナポレオンの支配から凋落まで、ロンドンからウィーンまで、それなりのスケールと劇的性をもっていた。しかしそれらは、しょせんは五十歩百歩なのだ。いくらそれぞれの因果に理由を与えても、世界がリアルであると見るかぎりは、苦悩が去ることはない。幸福がいつまでも続くとはかぎらない。  かくてショーペンハウアーは「解脱」による意志の哲学の確立に向かうことを決意する。そして「生の意志」があるとするのなら、おそらくは倫理的な解脱感か、もしくは芸術的な解脱感をもつしかないのではないかと、まさにペシミスティックに断じたのである。これはのちにニーチェを狂喜させた断定だった。ニーチェはただちにソクラテスやプラトンを理論的オプティミズムと批判した。それよりも実践的ペシミズムのほうがよっぽど理性的であり、実践的であると確信するようになった。.

意志と表象としての世界| I・II・III.

ショーペンハウアーは、デカルトやカントが「物質界」とか「物自体」とみなしたところのものを、大胆にも「意志」(Wille)とみなした。そんなことがありうるのかというほどの、見方の転換だ。しかもこの「意志」は、世界にあまねく広がっているリベルム・アルビトリウムではなかった。もっと妙なものだった。  いや、早とちりしてはまずい。これは物活論なのではない。生気論やアニミズムを持ち出したのではない。ユングやエリアーデのように、意志にアニマやアニムスを想定したのでもない。見えている世界をふくむ感知できない世界そのものに意志があって、その一部を、人間は適当に切り取っているとみなしたのである。  このことがどういう意味をもつかは、にわかには理解しにくいかもしれない。物自体が意志だと言っておきながら、その物自体の意志が何かにあらわれるのではなくて、そこから人間が勝手な意志を切り取っているというのだから、世界の意志は人間の意志にろくなものしか提供していないように見える。そこが理解しにくい。  しかしもし、ショーペンハウアーが言うように物自体が意志ならば、世界そのものはもともと「見えない意志」なんだということになる。それを人間は一知半解に、自分の意志と思いこんでいるということになる。ショーペンハウアーの哲学が「意志の形而上学」といわれるのは、ここだった。  が、ここからがややこしい。紆余曲折がおこる。ふつう、意志といえば何事かを意図的に追求したり、意欲を抱いたりしていることをいう。けれどもショーペンハウアーがいう意志は、きわめて反理性的な意志なのだ。.

カテゴリ : 18世紀ドイツの哲学者 19世紀ドイツの哲学者 ドイツの倫理学者 反出生主義者 ドイツの著作家 自然哲学者 インド哲学 ドイツの仏教学者 ドイツの美学者 実存主義者 形而上学者 無神論の哲学者 カント哲学者 ドイツの音楽学者 神秘主義 深層心理学 オランダ系ドイツ人 フンボルト大学ベルリンの教員 グダニスク出身の人物 年生 年没. 意志と表象としての世界| I・II・III. ショーペンハウアー 自画像. 世走篇 夜 ダニエル・コーエン 『ホモ・デジタリスの時代』.

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アルトゥル・ショーペンハウアーの名言集 Vol.2

コモンズ ウィキクォート. これから社会に出ていく若い人達には是非、一読をお勧めします。 先の住宅ローンの話ではありませんが「やってしまってからでは遅い」からです。 世の中の仕組みというのは学校時代に先生や親が教えてくれた一般的な価値観では、とても計れないような理不尽があふれている場所です。 自分が「正しい」と思ったことが否定されたり、「間違っている」と思うことが正々堂々と行われたりしているのです。 それを目の当たりにした時に、それまで持っていた価値観が崩れ「あらぬ方向」に走ってしまう人は結構、多く、それは自身の人生を、より悪い方向に引っ張っていってしまうからです。 人は「人生の処し方」を学んでから生まれてくるわけではありません。 ですので「生まれてから人生の処し方」をどこかで学ぶ必要があるのです。 自分の経験範囲内だけで得た価値観では、到底、長い人生には対処できないのが普通 です。 この本はきっとあなたに、どう生きれば良いのかを教えてくれるでしょう。 ネガティブな内容も多いので、若い時には「それじゃぁなぁ」と思われるかもしれません。 しかし経験を経れば経るほど「実はそれが最良策」であったことに気づかれると思います。.

と、後に書いている。  帰郷して、約束どおり、商会に奉公に出たが、学問への情熱は抑え難く、隠れて本を読みながら、懊悩していた。  そんなある日、長旅の疲れで病床にあった父が、川に転落死する。自殺らしかった。母は、悲嘆に沈むアルツールを置き去りに、芸術の都・ワイマールに移住してしまう。  ただ、この時、父の商会を畳んでくれたのは幸いだった。莫大な遺産もあり、彼に念願の学問の道が開けたのである。  しかし母子は、2度と同居することはなかった。. ハンブルクに帰った年(11歳)より約四年間、商人育成のためのルンゲの私塾に通学 [3] [5] 。アルトゥールは ギムナジウム への進学を希望したが、息子を商人にしようとする父に反対される [5] 。結局後に商人になるという約束のもとで二年間のヨーロッパ周遊の途にのぼることとなる [5] けいおん 大学生編 ネタバレ. 分理篇 夜 ウォレン・ケントン 『占星術』.

[3]. Arthur Schopenhauer, wikipedia.

ショーペンハウアーにまつわる7つの逸話

テオドール・アドルノ ジョルジョ・アガンベン ルイ・アルチュセール ハンナ・アーレント ガストン・バシュラール アラン・バディウ ロラン・バルト ジョルジュ・バタイユ ジャン・ボードリヤール ジグムント・バウマン シモーヌ・ド・ボーヴォワール アンリ・ベルクソン モーリス・ブランショ ピエール・ブルデュー ジュディス・バトラー アルベール・カミュ エルンスト・カッシーラー コルネリュウス・カストリアディス ジル・ドゥルーズ ジャック・デリダ テリー・イーグルトン ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ ミシェル・フーコー フランクフルト学派 ハンス・ゲオルク・ガダマー アントニオ・グラムシ ユルゲン・ハーバーマス ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル マルティン・ハイデッガー エトムント・フッサール ローマン・インガルデン カール・ヤスパース イマヌエル・カント セーレン・キェルケゴール アレクサンドル・コジェーヴ レシェク・コワコフスキ ジャック・ラカン フランソワ・ラリュエル クロード・レヴィ=ストロース エマニュエル・レヴィナス ガブリエル・マルセル モーリス・メルロー=ポンティ フリードリヒ・ニーチェ ホセ・オルテガ・イ・ガセット ポール・リクール アヴィタル・ロネル ( 英語版 ) ジャン=ポール・サルトル フリードリヒ・シェリング カール・シュミット アルトゥル・ショーペンハウアー ペーター・スローターダイク ミゲル・デ・ウナムーノ スラヴォイ・ジジェク ホセ・アスルメンディ more 連環篇 夜 古賀登 『四川と長江文明』.

誤解をおそれずわかりやすくするのなら、意志には大別して二種類がある。一般的な意味で「何かをしようとしている理性的な意志」と、他方で「無目的に人間をかりたてる非理性的な意志」とがあって、ショーペンハウアーはこの後者のほうの意志を主題とした。  先に言っておくと、このようなショーペンハウアーの意志は「意志は盲目である」というフレーズとともにかなり拡大解釈されて、フロイトに深い影響をもたらした。フロイトの「リビドー」「エス」「トリープ」などは、ほぼショーペンハウアーの意志をつきつめたものだった。  しかし、このように説明するだけではショーペンハウアーの意志の哲学はまだ、ほとんどわからない。ショーペンハウアーが「盲目の意志」に注目したのだとしたら、問題は「盲目の意志」の否定によってしか何かが始まらないと見ただろうと予想する必要がある。ここからしか「生の哲学」が切り開けないはずなのである。ところがショーペンハウアーの意志は、「原因をもたない意志」だったのだ。いわば「原意志」とでもいうものだ。因果性をもたない意志、それが「意志としての世界」なのである。  いや、そう言ったのではまだ正確ではない。第二巻でのべているように、ショーペンハウアーは、世界はそのような世界意志のなかの個別化の意志を取り出しあう抗争の場だとみなしたのだ。このようにショーペンハウアーを読むべきだということに気がついたのが、ニーチェだった。詳しいことは第一〇二三夜に書いておいたので、ここでは説明を重ねないが、今日のショーペンハウアー解釈ではニーチェ以降の解釈がたいていは前提になっている。.

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Arthur Schopenhauer.        .

アルトゥル・ショーペンハウアーの名言集

Die Welt als Wille und Vorstellung プラトン セネカ パスカル ゲーテ 葛飾北斎 ショーペンハウエル テイルズオブゼスティリア 霊峰レイフォルク ドラゴン キルケゴール ドストエフスキー トルストイ ルノワール アンブローズ・ビアス ニーチェ チェーホフ 夏目漱石 アドラー アインシュタイン 菊池寛 ピカソ 芥川龍之介 岸本英夫 林芙美子 アーレント カミュ ワトソン 江藤淳 浄土真宗親鸞会 親鸞会 総合リンク集 親鸞会親子ネット 自殺サイト 親鸞会と本願寺の違い 親鸞会の歴史 親鸞会の真実 親鸞会とは 親鸞会の講座 まおゆうネタバレ 親鸞会フォトブログ 親鸞会美女ブログ 親鸞会同窓会. 生代篇 夜 西山賢一 『免疫ネットワークの時代』.

このサイトについて ショーペンハウアーを完全に理解する過程で、ページの分量を何度も読み返すのに、私は1年以上を要した。ショーペンハウアーの思想は、確かに、素晴らしいものであった。 一方で、ショーペンハウアーの学習はかなり困難だと感じた。ただでさえ本が分厚いのに、ショーペンハウアーの思想は彼曰く「 有機体 」でもあり、読んでいると何を言いたいのか分からなくなってくることがある。その思想の価値は、如何にこの本が 歴史を変えてきた かが証明している。ショーペンハウアーの思想を簡便に、しかも本質を損なうことなく理解する方法は無いだろうか?と私自身何度も考えた。その結果、内容に忠実な要約を自分なりに作成することにした。. 名前空間 ページ ノート.

: Arthur Schopenhauer アルトゥル・ショーペンハウアー, 222 - 921 [1] Die Welt als アルトゥル・ショーペンハウアー und Vorstellung [1] [2].    .      .        . IIIIII.

ショーペンハウアーにまつわる7つの逸話

いま、ショーペンハウアーを読む者はあまりいない。それは今日、思想としての大乗仏教にとりくむ者がきわめて少ないということにつながっている。しかし、姉崎正治が『意志と現識としての世界』(博文館)を翻訳刊行したころは、鴎外も花袋も泡鳴も、清沢満之も西田幾多郎も鈴木大拙もショーペンハウアーに熱中したものだった。  トーマス・マンを読みたいなら、ショーペンハウアーを読んだほうがいい。芥川龍之介や太宰治に何かを感じたことがあるのなら、その奥にショーペンハウアーがいることを覗いてみたほうがいい。ヴィトゲンシュタインも、実はショーペンハウアーなのである。  やっぱりミットライト・ペシミズムが必要なのだ。ミットライト・ペシミズムの〝共感と共苦の同時感覚〟がわからないで、世をはかなんだり、自己意識に溺れたり、世の中に文句をつけたりするのは、あまりにも杜撰だ。また、数滴のミットライト・ペシミズムがなくて、頹廃やアヴァンギャルドをわがもの顔でかこつのも、かなりぐさぐさなことなのだ。  ショーペンハウアーの全集は白水社が刊行している。全十四巻、別巻に伝記・評伝・解説。ぼくは初めて世田谷三宿でアパート暮らしをしたとき、一ヵ月に一冊ずつ入手して、パートナーと競うように読んだ。目を通した参考になる書籍はそんなに多くない。定番はゲオルク・ジンメルの『ショーペンハウアーとニーチェ』(白水社)、エドゥアール・サンス『ショーペンハウアー』(文庫クセジュ)、アルフレッド・シュミット『理念と世界意志 ヘーゲルの批判者としてのショーペンハウアー』(行路社)などだろうか。  仏教との関係は湯田豊『ショーペンハウアーとインド哲学』(晃洋書房)、ヴィトゲンシュタインが受けた影響についてはデイビッド・エイブラハム・ワイナー『天才と才人』(三和書籍)、ニヒツ(無)については橋本智津子『ニヒリズムと無』(京都大学学術出版会)、ポストモダン思想からの見方としては鎌田康男ほか訳著『ショーペンハウアー哲学の再構築』(法政大学出版局)などがある。気が向けばラルフ・ヴィーナーの『笑うショーペンハウアー』(白水社)を読まれるといい。最後に一言、「デ・カン・ショ」は「ショ・デ・カン」の順に読むのがいいだろう。.

いま、ショーペンハウアーを読む者はあまりいない。それは今日、思想としての大乗仏教にとりくむ者がきわめて少ないということにつながっている。しかし、姉崎正治が『意志と現識としての世界』(博文館)を翻訳刊行したころは、鴎外も花袋も泡鳴も、清沢満之も西田幾多郎も鈴木大拙もショーペンハウアーに熱中したものだった。  トーマス・マンを読みたいなら、ショーペンハウアーを読んだほうがいい。芥川龍之介や太宰治に何かを感じたことがあるのなら、その奥にショーペンハウアーがいることを覗いてみたほうがいい。ヴィトゲンシュタインも、実はショーペンハウアーなのである。  やっぱりミットライト・ペシミズムが必要なのだ。ミットライト・ペシミズムの〝共感と共苦の同時感覚〟がわからないで、世をはかなんだり、自己意識に溺れたり、世の中に文句をつけたりするのは、あまりにも杜撰だ。また、数滴のミットライト・ペシミズムがなくて、頹廃やアヴァンギャルドをわがもの顔でかこつのも、かなりぐさぐさなことなのだ。  ショーペンハウアーの全集は白水社が刊行している。全十四巻、別巻に伝記・評伝・解説。ぼくは初めて世田谷三宿でアパート暮らしをしたとき、一ヵ月に一冊ずつ入手して、パートナーと競うように読んだ。目を通した参考になる書籍はそんなに多くない。定番はゲオルク・ジンメルの『ショーペンハウアーとニーチェ』(白水社)、エドゥアール・サンス『ショーペンハウアー』(文庫クセジュ)、アルフレッド・シュミット『理念と世界意志 ヘーゲルの批判者としてのショーペンハウアー』(行路社)などだろうか。  仏教との関係は湯田豊『ショーペンハウアーとインド哲学』(晃洋書房)、ヴィトゲンシュタインが受けた影響についてはデイビッド・エイブラハム・ワイナー『天才と才人』(三和書籍)、ニヒツ(無)については橋本智津子『ニヒリズムと無』(京都大学学術出版会)、ポストモダン思想からの見方としては鎌田康男ほか訳著『ショーペンハウアー哲学の再構築』(法政大学出版局)などがある。気が向けばラルフ・ヴィーナーの『笑うショーペンハウアー』(白水社)を読まれるといい。最後に一言、「デ・カン・ショ」は「ショ・デ・カン」の順に読むのがいいだろう。.

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28.09.2021 10:16 Asami:
生代篇 夜 西山賢一 『免疫ネットワークの時代』.